大使館の建物と建築家
令和4年12月1日
ルディニ邸 Villino Rudinì
現在の日本国大使館の建物は、ルディニ公爵アントニオ・スタラッバ(1839年~1908年)の依頼を受け、建築家のエルネスト・バジーレが1904年から設計を開始した。スタラッバは、イタリア王国首相を2回務め(1891年~92年、96~98年)、政界から引退後、この邸宅をローマの私宅として利用した。
在イタリア日本国大使館として日本政府が購入するまで、この邸宅は公爵の子孫が所有していた。
建築様式 Stile
建物は、地上3階、地下1階、屋根裏部屋から成っている。外観は、設計者バジーレが見事に表現するリバティ様式の装飾がなされている。古典主義の影響を受けたイタリア統一運動後の壮大な建築の特徴を保っており、リバティ様式の影響は、屋根裏部屋の左右対称の窓のデザインやその装飾、特に建物外壁の浮き彫りに見られる。また、窓枠や入り口の柱廊、窓の格子や外柵の装飾も美しい花々をモチーフとしたアールヌーボー(リバティ様式)を喚起させる。
建築家 L’architetto
この建物は、建築家エルネスト・バジーレが設計した(1857年~1932年)。建築家の父親を持ち、パレルモのリバティ様式の巨匠の1人だったバジーレは、父のジョヴァン・バッティスタ・フィリッポが開始したマッシモ劇場の建設を完成させた。モンテチトーリオ宮殿の下院議事堂設計・建築、ローマの貴族邸宅を設計する仕事を続けながら、生涯シチリアで生活した。
豆知識 Curiosità
ルディニ邸で、リリアーナ・カヴァーニ監督の映画作品『Il portiere di notte』(1974)の撮影が行われた。この作品は、1975年、イタリアで最も由緒ある映画賞「ナストロ・ダルジェント」の、最優秀監督賞及び最優秀脚本賞にノミネートされた。
現在の日本国大使館の建物は、ルディニ公爵アントニオ・スタラッバ(1839年~1908年)の依頼を受け、建築家のエルネスト・バジーレが1904年から設計を開始した。スタラッバは、イタリア王国首相を2回務め(1891年~92年、96~98年)、政界から引退後、この邸宅をローマの私宅として利用した。
在イタリア日本国大使館として日本政府が購入するまで、この邸宅は公爵の子孫が所有していた。
建築様式 Stile
建物は、地上3階、地下1階、屋根裏部屋から成っている。外観は、設計者バジーレが見事に表現するリバティ様式の装飾がなされている。古典主義の影響を受けたイタリア統一運動後の壮大な建築の特徴を保っており、リバティ様式の影響は、屋根裏部屋の左右対称の窓のデザインやその装飾、特に建物外壁の浮き彫りに見られる。また、窓枠や入り口の柱廊、窓の格子や外柵の装飾も美しい花々をモチーフとしたアールヌーボー(リバティ様式)を喚起させる。
建築家 L’architetto
この建物は、建築家エルネスト・バジーレが設計した(1857年~1932年)。建築家の父親を持ち、パレルモのリバティ様式の巨匠の1人だったバジーレは、父のジョヴァン・バッティスタ・フィリッポが開始したマッシモ劇場の建設を完成させた。モンテチトーリオ宮殿の下院議事堂設計・建築、ローマの貴族邸宅を設計する仕事を続けながら、生涯シチリアで生活した。
豆知識 Curiosità
ルディニ邸で、リリアーナ・カヴァーニ監督の映画作品『Il portiere di notte』(1974)の撮影が行われた。この作品は、1975年、イタリアで最も由緒ある映画賞「ナストロ・ダルジェント」の、最優秀監督賞及び最優秀脚本賞にノミネートされた。